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日常100の質問に答えてみた。

※当方頭が悪いです※
※難しいこと考えてもまともな答えなんて出て来やしません※
※けれどもなぜか考えるのは好きです※
※当方ものすごく頭が悪いです※(大事なことなの強調しつつ二回目)
※読んで不快になっても怒らないでね※
 
 
1:今日はよろしくね!
よろしくお願いします。
 
 
2:まずは名前と性別、余力があれば「家柄、学歴、既往歴、宗教」も教えてください。
音成葉月、女です
「」内は特筆するようなことも無いため割愛させて頂きます。
 
 
3:ウィンドウズのキーボードに常備されている「Caps Lock」キーの存在をどう思いますか。
正直なところ、いらないなあと。
誤って打ってしまったあのキーに何度困らされたか……という逆恨みなのですけれど。
 
 
4:そもそも「存在」(Sein)というのはなんですか。
かたちの有無はともあれ「在る」と認識されているもの……ではないでしょうか。
神なんてものも、姿もかたちも無いけれど居る……つまりは「在る」とされている。
要は文字通りに「在ると存じております」ってやつなのではないかなと。
となると「存在」の定義に実(まこと)に在るのか、という真偽の問題は横に置かれるのではとも思います。不思議な言葉ですね。「存在」
 
 
5:ごめんね、困らせるようなこと聞いて…!
大丈夫ですよ、楽しいです。
 
 
6:初恋はいつですか。
幼稚園の年中組の頃と記憶してます。
戦隊モノのごっこ遊びで、なぜだか男の子達の中に混ざって遊んでいました。
 
 
7:そもそも「初恋」を規定しているものはなんですか。
字面だけ読めば「初めて抱いた恋心」なのでしょうけれど。どうなんでしょうね。
 
 
8:初恋はどうして数多くのひとにとって特別に感じられるのでしょうか。
恋に限らず初めてのことって結構覚えていたりしませんか?そういうことなのでは無いでしょうか。
 
 
9:初恋を(精神的に・心理的に・形而上学的に)繰り返すことはできるのでしょうか。
出来ると思います。
それはもう、最期の瞬間まで添い遂げると誓える「誰か」を見付けるその時まで人は「この人を初恋だと思いたい」くらいに思うのだろうなと。
例えば1人の恋人と別れたとして、次に誰か他の好きな人が出来てその人と結ばれるとするならそれは妥協の恋か「前の恋人より好きになれた」(本人からすれば「今度こそ」)本当の恋だからなのではないかなと。そもそも人の定義する“初めて”なんて言うのは曖昧なもので「初めてこんなにも人を好きになった」は塗り変わるものです。そうやって「初恋」も塗り変わっていくのではないかなと。
 
 
10:そもそも「繰り返す」(répéter)ということを、ぼくらはなにかしらにおいてできるのでしょうか。
繰り返すことそのものは可能だと思います。
繰り返して必ずしも成長出来るか、繰り返すことにそもそも意味がある事柄か……というだけの違いなのではないかなと思います。
 
 
11:中学校のときの友だちと、いまでも会うことはありますか。
無いです。会いたいとも思いませんね。
 
 
12:そもそも「友だち」というのはどんなひとのことでしょうか
一緒に遊んだりご飯を食べたり、ただただ一緒に時間を過ごすだけでも良かったり
相手に元気が無いと心配になってそわそわしたり勇気を出して声を掛けてみたり、なんとか元気づけようと空回ってみたり
こちらに元気が無いとなんか色々気を遣わせてしまって申し訳なくなったり、だけど有り難いしどこか暖かくなったりする様な
まあ、夢物語ですけれど
 
 
13:ぼくらはどうして「友だち」と一緒にいるのでしょうか。
寂しいからじゃないですかね
1人で居るよりは誰かと居たかったり
たまたまふと誰かと居たいタイミングだったりして
 
 
14:「友だち」は完成していますか、未完成ですか。
未完成であって欲しいです。
友達に限らず関係してる人間はつまらないのではないかなー……と
だから未完成で良いと思います。
 
 
15:理想的な「友だち」は遠いですか、近いですか。
遠いとも近いとも言い難いです。
 
 
16:「友だち以上恋人未満」とは言いますが、「恋人以上友だち未満」という状況はありますか。
あります。
私は今居る恋人を間違っても友達とは呼べないと思うので。
 
 
17:友だちと恋人は連続しているものですか。それぞれ独立しているものですか。
独立しているものなのだと思います。
少なくとも私にとっては。
 
 
18:友だちになる方法と、恋人になる方法は異なりますか。
私にとっては変わりません。
友達になる方法は相手が「その人だから」でしかないし、恋人になる方法は相手が「その人だから」でしかありえないです。
 
 
19:そもそも関係の手続きとなるような「方法」はあるのでしょうか。
その人がその人であることを手続きとするならばあるのではないかと。
 
 
20:じぶんに欠けていることはありますか。
欠けていることだらけです。寧ろなんでこんなのが人のかたちをしているのか解らない。と、思うほどに。
 
 
21:そもそも「欠ける」というのは可能なことなのでしょうか。
完全無欠、つまりは完成品としての人に成った人が居ない以上(居たとしてもその存在を誰も知らない以上)人は欠けることすら出来ないのかもしれないですね。
 
 
22:だれも気づいていない「欠陥/欠如」は、欠けていないと言えるでしょうか。
「あってないようなもの」だったとしても、なかったことにはならないししてはいけないというのが個人的な見解です。
 
 
23:欠けること(欠けていること)は必要なことでしょうか。
世間に広く認識される、何処にでも居る様なただの人でありたいなら必要なのではないでしょうか。
 
 
24:これまで何人のひとと付き合ってきましたか。
1人です。
 
 
25:そもそも「付き合う」というのは、なんの合意なのでしょうか。
私はあなたに恋をした。あなたも私に恋をした。飽きるまで一緒に居ましょう。
程度の合意なのではないですかね。
結婚になるとそれが「一緒の墓に入るまで」とかそんな感じになるのかなと。
 
 
26:そもそも「合意」(Ubereinstimmung)というのは、なんのことでしょうか。
何かひとつの事柄、例えば
「私はあなたに恋をした」と言った人が居て、相手がその時に
「私もあなたに恋をした」
と答えた場合、2人は事実「意見が合った」のでしょう
この「意見が合った」結果起こりうる未来、この場合は「付き合う」という結果を表現する際に
「合意のもと」という言葉が使われるので、要はまあ、そういうことなのかなと思います。
 
 
27:「付き合ったひと」を数えることで、恋愛は可算名詞になりますか。
数えるほどに居るならそうなるのかも知れませんね。
 
 
28:いま恋愛において好きなひとはいますか。
恋愛においての好きなひとはひとり居ます。
 
 
29:そもそも「好きなひと」というのは、どのようなひとのことですか
好もしく想うひとの総称が「好きなひと」だと思っています。
恋愛において「好きなひと」
友愛において「好きなひと」
家族愛において「好きなひと」
などなど、「好きなひと」の意味や可能性は恋愛に限定されないものだと認識しています。
 
 
30:だれかを好きになることは、簡単ですか、困難ですか。
好きになることは困難です。
というか、そんなに簡単に人を好きになるたちではないと自負していますが、嫌いになることの方が好きになることの何倍も何百倍も困難に感じるために、好きになることの方が嫌いになることに比べたら幾らか簡単だと思ってしまう部分があります。
 
 
31:異なる相手をおなじように好きになることはありますか。
無いです。
相手ひとりに対する「好き」は他の誰かへの「好き」と類似する点があったとしても揺るぎなくその相手ひとりに向ける好意であり同一ではありえません。
 
 
32:好きという気持ちには、なぜ終わりがくるのでしょうか。
感情は生き物だからです。
人は心を持つ生き物で、人の心から生まれ出る感情も等しく生きているモノだからなのだと考えます。
生きていればいずれは死にます。
好きという気持ちが終わるなら、その時はその好きが死んだからなのでしょう。
 
 
33:飽きたり冷めたりしたときに関する「合意」はするべきでしょうか。
「合意」が出来ればそれは最高の終わりですけれど、大抵の場合はそんなにうまく行かないでしょうね。
ゆえにするべきなのは「合意」でなく「諦観」だと考えます。
「飽きた」「冷めた」とからと言って都合よく相手が「みーとぅー」と言えるかと言ったら解らないのが人の心です。
気持ちが冷めた相手を諦める心。
冷めてしまったから、未だ冷めていない相手を傷つけてでも袂を分かつ。要は傷つけることへの諦観。
必要なのはそれなのかなと。
 
 
34:別れ話は、話すことが決まっているのに、なぜ特別に感じられるのでしょうか。
ある種儀式に近いのではないかと。
どんなに長くても短くても、恋し愛して寄り添った相手と離別する
繋がることにも離れることにも儀式が必要です。
人って好きでしょう。大なり小なりの差はあれど、儀式というものが。簡単に見易く解り易いけじめの形なのだと思います。
 
 
35:別れるのに、どうして付き合うのでしょうか。
詰まるところ、ひとりで居るのが寂しいからじゃないかなと思います。
 
 
36:(やや重複しますが)恋人にならずに、友だちではいけなかったのでしょうか。
役割の違いでしょうね
恋人に出来ることと友達に出来ることの差異は大きく開いたものであるのが世間一般の様ですし。
 
 
37:付き合ったことのあるひとを「元カレ/元カノ」と前職名・古い肩書きのように呼ぶのはなぜでしょうか。
結果的に離れてしまったけれど無かったことにしたくはないからじゃないですかね
これまでに付き合った人が何人居たか、みたいなのがステータスになったりする世の中ですし
そうじゃなくても「その人を好きだった自分も揺るぎなく自分なのだから、無かったことにしたくない」みたいな理由もあったりするんでしょうね。憶測ですけれど。
 
 
38:「私の彼」「俺の彼女」と所有格で説明することがあるのはなぜでしょうか。
所有欲は誰にでもあるのではないかなと。
同時に所有されたい欲もある。
「私はこの人の彼女」「俺はこいつの彼氏」なんて言うのだってあるでしょう。
ある意味、それこそ互いに「合意のもと」での互いの所有物で居たい。というのはあるのかなと思います。
それぞれにそれぞれの役割で所有されていたいと願うのが私です。
「この子は俺の(私の)娘」とか「この人は俺の(私の)の姉」だとか、「こいつは俺の(私の)」いうのとさほど変わらないです。
 
 
39:そもそも「所有」というのは、どういった状態のことでしょうか。
この場合の「所有」は関係性が明確になっていて、尚且つそれなりの深さで心が繋がっている状態をさすのではないでしょうか。あくまで私の場合、ですけれど。
 
 
40:とあるなにかを所有している(できている)ひとと、所有していない(できていない)ひとにちがいはありますか。
人柄と本人の所有することに対する覚悟では。
何かを所有する、ということはそれを守る責任を負うということ。
その責任を重く感じるなら所有していない、できていないあるいは「しない」という選択もまたひとつの道だと思います。
 
 
41:なにも問題がないということは、うまくいっているということでしょうか。
問題がないというのは、何か困ってしまう様な不都合がないだけ。悪くはないけれど良くもない……という様な、そういう曖昧な部分なのかなと思います。
 
 
42:そもそも「問題」というのは、だれが決めることなのでしょうか。
ひとつの事柄について、不都合と成りうる事態が生じて困ることがある“それを執り仕切る”特定の誰かなのでは
会社で不都合が生じて、それに困り問題視するのは大抵重役の誰某だと思います
組織レベルでなく個人レベルで語ってもそうです。
例えるならば私は、自分のプライドの高さに困ることがあります。
自分はもっと出来る、やらねばならない。に疲れることが度々あるので困っています。
それは私の“性格”に問題があるといえ、それは私の人生を執り仕切る他ならぬ私自身が問題視するところです。
と、まず、こんなところでしょうか。
 
 
43:問題を解決するために「情熱(熱意)、知性(知恵・知識)、人間関係(コネ)、暴力(腕力)、お金」以外のなにかを使うことはありますか。
残念ながら私の拙い頭では「それ以外の何か」が思い浮かばないです。思い浮かばないです他の何かを使うことは無いはずなので、私の回答としては“ない”です。
 
 
44:そもそも「解決」というのは善いことですか。
善いことではあるのでしょう。
けれど、問題が解決した先に更なる問題が無いとも限らないので、結局はそれを善しと取るか悪しと取るかは時と場合と人次第だと思います。
 
 
45:恋人と旅行に出かけるならどこに行きたいですか。
温泉旅行が良いです。
昔一緒に行った草津温泉、また行きたいものです。他の何処か有名な温泉街なんかもいいですよね。とにかくまったりする様な旅行が出来れば嬉しいものです。
 
 
46:そもそも「旅行」というのは、どうして目的地を決めるのでしょうか。
重きが置かれているのは行き先を明確にすることよりも“何処に行こう”と楽しく話し合う時間なのかなと思います。
何処に行こう?彼処もいいな、此処もいいな。今回は此処に行こう。行ったら何をしたい?何を食べたい?
そんな風に、計画を立てている時間が一番楽しい。行ったら行ったでもちろん楽しいけれど、話し合う時間が何よりも、なんていうのはよくあることの様な気がします。
 
 
47:遠出をしたとき、いつかは家に帰りたくなるのはなぜでしょうか。
どんな家であれよほどのことがない限りは「やっぱり家が一番だな」と思える程度には安心出来る場所であるからでは無いでしょうか
一所に留まることが出来るのはそこに安心があるからに他ならないと私は思います。
 
 
48:そもそも「家に帰りたいという気持ち」(Heimweh)というのはなんのことでしょうか。
煩わしさからの解放でしょうか。
無論家に帰ったところで煩わしさが100%消え失せる様な状況はほぼほぼありえないとは思いますけれど。
少なくとも赤の他人からの無自覚で無遠慮で超(此処では敢えて“超”という言葉でそれの鬱陶しさの様なものを表現したいです)暴力的な煩わしさから解放されるのは家の中を置いて他にないと思うので。
人と居るのが煩わしく、けれどそれは相手が自覚的に煩わしく絡んでくるわけでもなく、ともすれば責めることも出来ない。それゆえに殊更煩わしく息が詰まる。そんなことはよくあると思います。少なくとも私は赤の他人が闊歩する街中を少し歩くだけでも割と疲れますし、知り合いとの関わりにすらひどくエネルギーを使うので余り……というひきこもりであることが多いです。よほどのことがない限り、遊びに行くのもひとりです。例外として連れ出せる身内が1人2人居るかどうか……という感じで。
外に居るよりはエネルギーを浪費しない家に帰りたい気持ち、といえば今なら私にでも解る気がします。
 
 
49:「家での暮らし」というとき、どうして「暮らす」という否定的なことばを使うのでしょうか。
基本的に人が家に居るのは「暮れた」後だからではないでしょうか
 
 
50:半分まで行ったよ!
行きましたね!
 
51:ふだんよく聴く楽曲をクラブで改めて聴くと、特段「いいなあ」と思えるのはなぜでしょうか。
クラブというところに行った経験が無いので、そのうち行って確かめてくることにします。
 
 
52:(音は単なる波なのに)「音楽を聴く」という行為が特別に感じられるのはなぜでしょうか。
その単なる波に人が手を加えたからではないでしょうか。
(例えば私の様な)歌詞に惹かれる人が居たとして、そこには必ず、唄われているその言葉を綴った人が居て。
音の運びに惹かれる人が居たとして、そこには大抵の場合その音の運びを見出した“誰か”が居て。
その綴った人や見出した人は、その言葉に音に、心や生き方を表している。そういう風に、ただの波に人の心が乗ったからこそ受け取り手に共感が生まれて“特別”になるのだと思います。
 
 
53:音楽がひとを殺すことはありますか。
それそのものに本当に人1人殺せてしまう力がある様な音楽がどれほどあるかは解かりませんけれど
聴き手の状態によっては、ありえないことではないかもしれません
 
 
54:ひとが音楽を殺すことはありますか。
こちらは幾らでもあると思います。
総ての音楽が賞賛されるわけではない。
賞賛される音楽よりもされない音楽の方が多いわけで、賞賛されている音楽にだってそれを否定する人間が居るわけで
否定は最も簡単に対象を殺す手段でもある……と、私は思っていますので
今日もたくさんの音楽が人によって殺されています
音楽に限った話でなくても
 
 
55:なにもかもが一度切りだと主張するロック音楽を「再生」することは善いことですか。
何度再生しても、同じ瞬間は1度たりとも無いと思っているので、良いのではないでしょうか
 
 
56:音楽によって想起された思い出は、いまここにあるものですか、それとも過去のものですか。
過去にあり、今も確かに此処にあるものです
 
 
57:聴かなかったことにしたい音楽はありますか。
無いです
その曲に思い出す人や景色をなかったことにしたいと思うことはありますけれど
 
 
58:おなじ音楽を知っている(共有している)ひと同士を、うらやましく思うことはありますか。
特には
少なくとも身内の中ではあまり知られていない様な音楽を好みますから
 
 
59:国歌を知らないひとがいたら、教えてあげるべきでしょうか
私は知っているので、他の誰かが知っていようが知っていまいが興味は無いですね
 
 
60:どうして働かなければならないのでしょうか。
生きていたいなら、
好きな様に生きたいなら、
そのために必要な最低限は自分で確保せねばならないからではないでしょうか。
 
 
61:あるひとを理解するうえで、そのひとがどんな仕事をしているか知るべきでしょうか。
相手の仕事云々がそこまで重要であるかと言ったらそうでも無いとは思いますが、その道を選んだ理由……くらいは知ることが出来たらその人のことが少しくらいは解る可能性はあると思います。
 
 
62:職業の貴賎を決めることはできますか。
決めることにどんな意味が、とは思いますが、決められてそこに価値がつけられているのは事実なのでしょうね。
 
 
63:どうして「医者」「弁護士」「先生」は差別(優遇)されているのですか。
解らないです。
私も知りたいです。
 
 
64:仕事をしているときのじぶんは、別のじぶんでしょうか。
少なくとも仕事をして居ない時と同一とは言えないですね。
 
 
65:はぐれものが社会化すること(socializing)は善いことでしょうか。
それがどんなものに成るかによりけりでしょうね
善いものになれば善いし、
悪いものになるならば悪い
 
 
66:教育が社会化することは善いことでしょうか。
それはどう成ることなのか、ちょっと解らないです
教育が社会を作って行くのだと認識しています
 
 
67:家庭が社会化することは善いことでしょうか。
善し悪しはともかく、 それは嫌ですね
 
 
68:そもそも「社会」というのは、なんのことでしょうか。
人が複数人集まって出来る三角のことではないでしょうか
 
 
69:「社会人として」という主語(主格の複合助辞)を使って話すひとをどう思いますか。
めんどくさい反面、致し方ないところもあると思います
そう在らねば生きてゆくことさえ(暗にとはいえ)許されていないのも事実ですから
 
 
70:祖父母や、両親や、兄弟と、あと何回会うことができるでしょうか。
さあ。それが解ればもっと優しく居られるのでしょうね。もっと有意義に時間を共に出来るのかも知れません。
 
 
71:親の人生をどこまで知りたいと思いますか。
特別、積極的に知りたいとは思いません。
教えてくれるなら聴きますし、共に生きてゆく時間は見守りますし。それだけです。
 
 
72:先祖をどこまで辿ることができますか。
曾祖父母が限度です
 
 
73:墓参りをすることで、先祖を解放できるでしょうか。
何から解放するのでしょう?
死に纏わる苦痛からですかね。それは「死」というひとつの終幕と共に解放されていたもの、と思いたいのですけれど、後は何でしょうね。
解放してあげられるなら、とは思いますけれど、難しいでしょうね。
人は、今目の前に居る人の苦痛さえ取り払うのが難しいのですし
 
 
74:「親戚」という単位は、なににおいて役に立ちますか。
冷たいことを言うならそれの質によるかと思います。
 
 
75:結婚はこれから先の未来にも必要な制度でしょうか。
必要と断言する理由も見当たりませんが、不要と断ずる必然性も見出せないです。
ちなみに私は結婚はしたいです。
 
 
76:お見合い結婚は、なぜ廃れたのでしょうか。
それを否定あるいは拒絶する人が元々多かったからだと思います。
お見合い結婚の時代にも、恋をしてそういう相手と結ばれたいと願う人の方が圧倒的に多かったのでしょうね。当然といえば当然でしょうけれど。
 
 
77:お見合いをしていた当時のひとたちは、お見合いがなんであるかを理解していたのでしょうか。
解かりません。
そもそもお見合い結婚がなんであったのか、私も知らないです。
 
 
78:お見合い結婚したひとと、のちに(改めて)恋愛することはできますか。
不可能ではないと思います。可能性としてはありえるのかなと。
 
 
79:そもそも結婚するための「条件」(condition)というのはなんでしょうか。
なんなんでしょうね
私は私が選び私を選んだその人であれば、としか思っていないです。
 
 
80:老いは、十代や二十代には経験できないものでしょうか。
どうなんでしょうね
精神的に老けたと宣う人も居ますから、経験出来ないなんてことも無いのでしょうけれど。
 
81:老いは不都合でしょうか。
不都合というよりは不自由では無いでしょうか。
自由とは何たるや、なんて問われたら、それも難しいですけれど。
 
 
82:そもそも「老い」というのはなんのことでしょうか。
一般には年齢を重ねてゆくことですよね。
死に向かうこと。死により近づくこと、なのでは。
 
 
83:「成長」や「成熟」を決めているのはだれであり、それらはなんのことでしょうか。
生きているすべての人であり、そうであるからこそ明確な答えなど無い。と、思います。
 
 
84:「大人になる」ということはなんのことでしょうか。
誰それの納得する人間に成ること、ですかね。
早く大人になれよ、なんて言われると私はそう思ってしまいます。
 
 
85:人生において幸/不幸はどうして問題になるのでしょうか。
誰だって幸せになりたいし、不幸せになりたくは無いからでしょうか。
 
 
86:人生において要らなかった不幸はありますか。
無いと思います。
どんなに消し去りたいほどに嫌な過去でも、それがあるから今がありますし。
だからと言って、感謝なんて出来るほどまだ達観してないし納得しているなんて言えないけれど。
 
 
87:「幸せな恋愛」「幸せな暮らし」「幸せな結婚」など、どうして他人が決めた「幸せ」を求めたがるのでしょうか。
流されていれば楽だからじゃないでしょうか。
 
 
88:あなたはだれかを幸せにすることができますか。
出来ません。
幸せにしたい、という願望はありますけれど。
 
 
89:幸せになるための努力は必要でしょうか。
多少なりとも努力をすれば、得られる幸せの程度は変わるのでしょうけれど。
いちばんに必要なのは今ある幸せを見つける目なのではないかと思います。
 
 
90:死ぬことは怖いですか。
怖いです。
この歳になって初めて死にたくはないなと思いましたから。
 
 
91:死んでも残るものはありますか。
どうしても残ってしまうものはあるでしょうね。
だけれど死ぬ時は、何も残らなければと願っています。
 
 
92:産まれたときのことを覚えていないのに、どうして死ぬことを確信できるのでしょうか。
そうやって死んでいく人を見ているからでは。
 
 
93:死ぬことを考えることは宗教ですか。
宗教とはまた違うと思います。
宗教に興味を持たない私でも死を考えることはありますから。
 
 
94:じぶんが死んだことを知ってほしいひとと、知らないでほしいひとはいますか。
死ぬ時には、自分が誰の記憶にもどんな記録にも残らないなんて奇跡が起きて欲しいと願っています。
 
 
95:人生に思い出がなかったらつまらないですか。
それは生きてないのと同じだから、つまらないですね。
 
 
96:人生に色がなかったらつまらないですか。
つまらないし、もうそんな人生を生きるのは嫌ですね。
 
 
97:恥のない人生を目指すのは正しいことですか。
生まれてきたことがまず恥なのにいまさら何を。と思います。
 
 
98:そもそも「正しい」というのはだれが決めることで、どういうことでしょうか。
それも誰それの勝手で答えは人の数ほどありますよね。
影響力の強い、お偉い誰かが謳った正解に右倣えで流されているから、正しく生きろなんて言われるのでしょうけれど。
それが無ければきっと、誰かに殺されちゃうんだろうなあって思ったりもします。
 
 
99:死ぬことは正しいことでしょうか。
間違いであるなら生き物が存在することがまず間違っていると思います。
 
 
100:答えること自体が不都合である問いを答えさせることは、悪でしょうか。(お・わ・り)
面白ければアリですよ!
 
 
 
以上。
何日掛けたか解んないし捻くれてるし言ってること滅茶苦茶だしなんだよお前!って思っても、「こんなやつも居るんだ」程度に流してくださいね。これを読んで不快になっても責任は取れませんので悪しからず。

私について

ブログを新しくしたのでまずは自己紹介。

音成葉月という者です。

小説と言って言えなくもない(かもしれない)何かを書いて十年ほど、ついのべ界隈でふよふよ浮いたり沈んだりして四年弱、詩を書き始めて一年と少し。

自称“書き手”。

読み書きが好き。

観ること聴くことが大好き。

ゲームが好き。

散歩が好き。本屋巡りが好き。

一人カラオケとか映画館とか余裕。

お金さえあれば一人で遊べる楽しい奴。

一人の時間が無いのは無理だし、放浪癖があるので時には単身県外とかまで飛んでる可能性もある。

綺麗な写真が撮りたい。一眼欲しい。

バス釣りが気になってる。素敵な師に出逢って興味津々。

 

とまあ……そんな感じで、趣味が阿呆みたいに多い奴。

 

好きな作家は市川拓司、加納朋子神永学西尾維新野村美月雨木シュウスケ(敬称略)等。

好きな詩人は最果タヒさん。

好きな漫画家はCLAMP藤原ここあ種村有菜(敬称略)等。

好きなアーティストは植田真梨恵奥華子、B'z(稲葉ソロ)等。ボカロは色々聴くけれどPで言えばTOKOTOKO、とあ、電ポル、ねじ式、つなまる、すこっぷ等が特に好き。

 

昔から本が好き。

真面目に勉強などしてこなかった劣等生であるからして純文学とかその辺は興味を惹かれることはあっても理解力が低く難しくてなかなか手が出ずにいる。

「好き」と「好きじゃない」がかなりはっきり分かれていて、故に徹底して「好きなもの」以外は読まないし書かない。

同様に「好きな人」以外と馴れ合わないし関わりたくもない。人見知り、という程の人見知りでも無い様に(最近なんかは)思うけれど基本的にめんどくさがり。関わらずに済むならそうしたい派。

 

前述の通り詩と小説、ついのべを書いている。

いずれにおいても暗めでひんやりとした言葉を紡いでいるつもり。燈が灯る様な暖かさは憧れ。とても遠くに感じる。

文体的な向き不向きで言えば小説よりも詩の方が向いているのでは、と思う今日この頃。

掌編程度の短いお話なら書けるけれど、長編や連載などは苦手。頭の中に最後のシーンがあったところで書き続けられた試しがない。来年なんかはそのあたりと向き合ってみたいなんて言うだけタダ。そんな奴。

 

来年夏には本を一冊出したい、というのが願望。言うだけタダ。にはしたくないというのが本音。頑張る。

音成葉月の第一詩集【ハローグッバイ

これに連なるあれこれに関しては、また別枠で解説してゆこうと思う。

ブログ、いつまで続くかは解らないけれど。

“音成葉月が書いたモノ”だけでなく“音成葉月”そのものに少しでも興味を持ってくれている人が居るなら、そんな誰かに届けば良いなと思いながら。自己紹介。

 

ブログを書く時のテンションというか、ノリというか。そういうのは書く時々によって違って来ると思う。

もっとはっちゃけてたり、今くらいの(表現しづらいけど)テンションだったり……ね。

まあ、ゆるりとお付き合いくださいませ。